· 

美術雑誌GALLERY10月号に画家/講師・原大介の記事が掲載されました。

画家/講師・原大介の記事を掲載していただきました。

GALLERY2019年10月号です。

もし書店で見かけましたら、お手に取って頂けたら幸いです。

以下、本文を転載

 

「進んでは時に少し戻る。その度にわずかずつだが何かが見えてくる。」

 

「進んでは、時に少し戻る / その度にわずかずつだが、何かが見えて来る / 自分の裡にあって、変わらぬものと立ち合う時の不安な安堵 / しかし、いつもそれは同時にズレであり自分の現在形が少しずつ音をたてながら / 変容していく / その事のキシミに立ち合うことでもある / 変わろうとするものと、変え得ないもの / この相克、この葛藤はそのまま / 私の制作活動の全域に迷路の様に / 見えかくれしている / 私にとって、絵画することの根拠は / 深くその様な問いかけの中に / 由来してきたからである」

原大介が30年前に書いた文章であるが、制作に対する姿勢は今も変わっていない。東京・日本橋の椿近代画廊での企画個展は38回目を数える。それにむけ制作中である画家のアトリエを訪ねた。 積み重ねられたキャンバス。制作というよりは、格闘というべきか。

 

 原はいわゆる団塊の世代に属するが、この世代は幾度かの価値観の転換を否応なしに経験している。彼が幼少期を過ごした終戦後の神戸。そこでは日本古来の文化と、目まぐるしく流入してくるアメリカが対立し合い混ざり合い、価値が次々と古いものを塗り替えていく。大きなうねりを実感するのに充分な土地であった。画家を志し上京した原が影響を受けたものを列挙してみると、プレスリー、ビートルズ、ボブディラン、ピカソ、ポップアート、抽象表現主義、ジャクソンポロック、タピエスetc... 具体派、俵屋宗達、書画etc...  武蔵野美術大学を卒業後、デッサンや写実を掘り下げた具象画家の道から、やがて抽象画の世界へと足を踏み入れた。未知数の世界、内なる対話を続けながら独自性を追求する、現在に連なる旅に出たのだ。

 

 幾度か否定した自己に回帰し、既存の価値観によらず自身のアイデンティティを回復すること。原に限らずそれはこの世代のある部分の指向性の一つを示すといえよう。画家は「自分の作品の展開の仕方それ自体もメッセージだ」という。また「作品は、私が今この時代に生き、呼吸をし、たしかにここに存在しているということを示すシグナル、存在証明である。作品を通じて、いつの時代の人間にも共通する普遍性を帯びた地下水脈のような感覚に繋がりたい」と主張する。

 

 画家の視線の欲望は常に、その絵画を成立させる根拠である。そして原の視線の欲望は、早くからペイントストロークやマチエールなどの、絵画そのもののフェティッシュな属性にも向けられていた。ある意味、手と眼による思考は画家であることと同義である。しかしそれ以上に彼の作品の成立を根底の部分で支えるのは「存在の本質に迫るための手法として、抽象的な画面構成の中に、しばしば相反した、あるいは矛盾した要素を持ち込む。静けさと激しさ、集中感と拡がりを同時に表現したり、敢えて破綻部分を入れたり」する試みだ。今度の個展について「表現の中心に≪線≫を意識した。線とは直線のことで、それは端的に現代性を象徴しています。私の絵の中核を成すプリミティブな力とクラシックな要素を、線と対比させることにより、リアリティを生じさせたかったのです。」と語る。

 

 画風を定めず、それでもどんな作品を観ても、一目で原大介と分かる作品を制作したいと考えている作家は、その時その時を、自らほどばしり出る感性で描いている。「絵画はあらゆる人々にとって言葉と並ぶ別系統の言語、視覚言語であり、それ自体がすでに強い意味を持ったメッセージである。私は絵画の可能性を強く信じている。」そう語る原大介の最新作を是非ご覧いただきたい。

(渡部誠一氏による評論文から抜粋)